首相の条件 2010 10 2
私は、今年6月13日に「首相の条件」という文章を書きました。
「わずか十数年で首相の条件は大きく変わってしまったのです。
今や、日本の首相も、アメリカ大統領並みに、
安全保障の見識が要求されるようになったのです」と書きました。
そのように書いて、数か月後には、
早くも、首相の条件が試されることになりました。
世論の雰囲気からすると、多くの国民は、不合格であると判定しているようです。
老婆心ながら「首相の条件」を書いたのに、
このような結果になったのは、誠に誠に残念です。
外交に安全保障と、「首相の必須科目」は増えて大変だと思います。
首相の条件 2010 6 13
わずか十数年で首相の条件は大きく変わってしまったのです。
「地上の楽園」と喧伝された北朝鮮は、ミサイル大国に、
「人海戦術が攻撃手段」と言われた中国は、米軍並みのハイテク装備に、
「映画の世界だ」と思っていたのに、よもや現代に、海賊が出没。
「永遠の繁栄が続く」と思われた現代のローマ帝国も、落日が忍び寄る。
「日が沈まぬ帝国」と言われた大英帝国も、人々の記憶の中にある。
「日が暮れるのは早い」とキリストの日記には記されているのか。
一昔前ならば、日本の首相は、何も知らなくても勤まったのです。
戦後、「日本は商売に専念し、安全保障はアメリカに丸投げ」という状態が、
長年、続いてきたのです。
多くの日本人どころか、政治家までも、
国防や安全保障には思考停止の状態になっていても、それでも暮らせたのです。
だから、「非武装中立」という非現実な概念が、
時代の流行語になったこともあったのです。
何しろ、地上の楽園に、人海戦術に、映画の中の海賊、
そして、現代のローマ帝国だったからです。
これなら、非武装中立も「現実的」だったかもしれません。
今や、日本の首相も、アメリカ大統領並みに、
安全保障の見識が要求されるようになったのです。